■中医中薬学

中医学史上の四大学術進歩

北京中医薬大学日本校 教授・高春媛 助教授・李宏

 四、明清医学--中医学の充実期

紀元後1386−1911年の500年余りの間は中医学発展の充実期であり、
中医学の進歩は下記のように総括できる。

(一) 臨床各科目の顕著的な進歩

 この時期に臨床医学は顕著的な進歩を果たした。疾病に対する認識が更にきめ細かくなり、治療手段も更に豊富になって、臨床治療効果が大きく上がった。臨床分科が細かくなったことと、温病学が成熟したことは、この時期の二つの大きな特徴である。

1、臨床分科が細分化され、専門的な内科、外科、骨傷科、婦人科、小児科、耳鼻科、眼科などができた。また、各科目の専門医も現れたのと同時に、数多くの高レベルな専門著作も相次いで出版された。例えば、傅青主の『傅青主女科』は、現在でも婦人科医師の必読書である。傅仁宇の『審視瑶函』及び倪維徳の『銀海精微』では、30枚余りの眼病図としてのデッサンが付いている。鄭梅澗の『重樓玉_』にある多くの咽喉科疾病を治療する処方は、今でもとても高い治療効果がある。陳復正の『幼幼集成』にある小児指紋の観察方法についての説明は、現在でも高い評価を受けている。熊運英の『推拿広意』では、推拿の手法と図解が記載されており、楊継洲の『鍼灸大成』は、鍼灸歴史上の真髄を集めた書である。

2、温病学の成熟は、中医学が当時、伝染病の予防と治療の面で高い水準に達したことを証明した。温病学の成熟を代表する医家は次の四名である。『温熱論治』を著した葉天士は、温熱病の新しい弁証方法である衛気営血弁証及び論治綱領を纏めた。『湿熱条弁』を著した薛雪は、湿温病を専論した。葉天士に並び、温病両大家と認められた。『温病条弁』を著した呉鞠通は、薛雪氏の理論を基に「三焦弁証」法を提唱し、湿温病の治療大綱となった。更に、葉と薛両氏の処方を整理して命名した処方は、今でも使用されている。『温熱経緯』を著作した王孟英は、『内経』中の温病治療法を経線に、歴代の各医家の温病治療法を緯線にして論述した。温病治療に関する資料が備えられ、『温熱経緯』は温病の「治療全書」とされた。

(二)盛んな学術論争

 幅広い学術論争で、中医学は益々優れてきた。各学科の内部で違う学術派が現れ、相互交流と促進をすることで、中医学は更に深く発展した。

1、内科の温補学派では、金元時期の李杲の学説を継承し、人体本来の抗病力を高めることが疾病を治療のカギであると提唱した。人の腎は「先天の本」であり、脾は「後天の本」であるから、補益脾腎(脾臓と腎臓を補う事)は体質を増強する要領であると強調した。この学派の代表的な医家は次ぎの通りである。『薛氏医案』を著した薛己。補脾の重要性を説いた趙献可は『医貫』を著した。そして、『景岳全書』を著した張景岳は、補腎の重要性を更に強調し、腎中の陽気を「命門の火」と称した。『医宗必読』を著した李中梓は補脾と補腎を結びつけ、体質低下、疾病に対する抵抗力差、免疫性欠損疾患の中医学治療について、温補学派から理法ができた。

2、「尊経複古」の学派は、張仲景の『傷寒論』にある処方を「経方」とし、治療の準則とした。そして、『内経』は「聖論」であり、みだりに論評してはいけないと主張した。この派は、陳修園の『傷寒医訣串解』と黄元御の『四聖心源』に代表され、後代に長く影響した。例えば、後の曹穎甫の『傷寒論注証発微』と余奉仙の『医経経方会編』はその影響を大きく受けた。現在、中国には経方の名医と呼ばれる人がいる。例えば、上海の金寿山、北京の劉渡舟などである。日本では、坂浄運が「古方派」の代表であり、永田徳本、吉益東洞などの名医は、陳、黄二氏に影響を受けた。

3、外科内部の三大流派:正宗派-代表は陳実功であり、『外科正宗』を著した。彼は内外合治し、外治の手法は精細で、内治法の特徴は補脾托毒である。全生派-『外科証論全生集』の著者である王維徳は、瘡_の治療を陰証と陽証に分類した。「陽和湯」は慢性潰瘍を治療する良方である。心得派-『瘍科心得集』の著者である高秉鈞は、清熱解毒と清熱養陰が急性瘡_の重要な治療原則であると主張した。


(三)大量に整理・研究されて出版された中医名著

 古代の医学書籍は、印刷のミス等により誤った箇所がある。何千年に渡り数多くの中医名著が現れたが、古本に校訂と注釈を加え、新しい著作を広めた事が、この時期の重要な成果である。

1、薬物方剤学の集大成となる著作
薬物の種類が絶えず増加し、薬を使う経験も次第に蓄積され、二つの大著が時運に応じて現れた。李時珍の『本草綱目』は、16世紀以前の薬学知識を纏め、1892種の薬を収録し、374種の新しい薬を加え、それまでの誤りを正した。そして、当時世界中で最先端となる薬物の分類方法を提出し、生物進化論の観点に従って、薬物を16部60類に分類した。その16部分類法は現在でも使われている。この本は多くの言語に翻訳され、世界中に広く伝わった。その後、呉其浚の『植物名実図考』は、1714種の生薬に対して図で考証した。それが中国で最も早い植物図譜である。
 朱棣(皇帝朱元璋の第五番目の息子)が編集した『普済方』は、中国に現存する最大の方剤書である。61000個の方剤が収載され、疾病順に論述と方剤が記載され、資料も豊富である。その後の、呉崑の『医方考』、汪_の『医方集解』、呉儀洛の『成方切用』等も皆実用的で価値がある方書である。

2、経典著作の校訂注釈と分類及び整理研究
秦漢時期に成書された四つの経典は、重要である。
 『内経』の注本で比較的良いのは、40部余りだ。初めて『内経』の原文を全部注釈したのは、馬蒔の『黄帝内経注証発微』である。真剣に校訂と注釈をした上、文字の漏れがなかった。また、初めて『内経』の原文の順序を並べ替えて分類したのは、張景岳の『類経』である。これは、『内経』を12類に分別し、条理をはっきりとさせた。『類経』の注釈も優れていた為、『内経』を学ぶ者は、ほぼ全員が1冊持っている。『内経』の重要な条文を抜粋し、簡単に分類したのは、李中梓の『内経知要』であり、今でも中国の『内経』教科書とされている。

 『傷寒論』と『金匱要略』の注家は60人余りいる。最も代表的な経方の注家には三大派がある。治法から『傷寒論』を研究したのは、方有執の『傷寒論条弁』である。張仲景は治法を重視し、八法が中心であると強調した。喩昌の『尚論篇』は、即ち『傷寒論』が全ての法であり、360条の治法があると記載した。「字字金玉、条条皆法」とは、当世の経方学派が推賞する名言である。
 方剤の本として『傷寒論』を研究したのは、柯琴の『傷寒来蘇集』である。『傷寒論』は六経に従って113処方を帰納した。徐大椿の『傷寒類方』では、『傷寒論』の12種類の方剤を臨床に活用した。六経の証候から『傷寒論』を研究した代表著作は、陳修園の『傷寒論医訣串解』である。これは、『傷寒論』が全て六経病証の弁証治療であるとした。諸医家の論争で、経方の使用が一時的に盛んになった。それ以外に、大量な医案、臨床各科、医史医話などの著作もあった。明清時代には、中医学の研究が極めて盛んになった。

(四)幅広い中外医学交流

 この時期、中外の医学交流は空前的に盛んになった。中国は朝鮮、日本、東南アジア、ヨーロッパなどの諸国と頻繁に交流した。

1、中朝医学交流:1617年、朝鮮内医院の御医(皇室の医師)の崔順立は、中国に行き、中医の問題を教えてもらった。その際、中国の太医(皇室の医師)が答えた疑問で『医学疑問』という本を編成した。今も保存されている。朝鮮の金礼蒙が書いた『医方類聚』、許浚が書いた『東医宝_』が、早くから中医学を朝鮮へ広めた。

2、中日医学交流:1370年、日本の竹田昌慶は中国に行って、8年間に渡って鍼灸学を学び、その後帰国して伝術した。1487年田代三喜は、中国で10年間医学を学んだ。日本に戻り、李杲と朱丹渓の学説を力を込めて提唱した。彼の学生である曲直瀬道三は『啓迪集』を著し、日本の「後世派」の中堅になった。そして、坂浄運は1492年中国にて学んだ後、『傷寒論』を推賞し、日本の「古方派」の代表者となった。丹波元簡、丹波元胤親子は『医籍考』を編集し、中医の古代文献を広めるのに、大きな貢献を果たした。多くの中医の書は、その時期に日本に伝わった。

3、中国と東南アジアの医学交流:ベトナム、インドネシア、タイなどの国とも交流があった。ベトナムの名医である黎有卓は『海上医学心領』を編集した。それは、『内経』と『景岳全書』など中医書の中の内容を集めた本である。鄭和士は、七回も西洋に大量に薬材を持って行った。其の時期、東南アジアから中国に伝われた香辛料の薬品も40種余りがあった。

4、中国とヨーロッパの医学交流:15世紀以後、西方の伝道士が相次いで中国に来た。彼らは中国の医書を持ち帰り、西方の医薬知識も伝えた。1656年ポーランドの伝道士Michel Boymは、ウィーンでラテン語の『本草綱目』を出版した。イタリアの伝道士Matteo Ricciの『西国紀法』は、1582年に中国で出版された神経解剖学医書である。伝道士は、西方の学校教育と医院施設など諸方面の知識を伝えた。外来の薬物や医療技術が相次いで中国に入り、今の中国の中西医結合の先駆者となった。



■医学気功

気功養生(4)

北京中医薬大学日本校教授 宋 海君

 第四節 気功養生訓

 零飲倒走、陰陽交和  四時順摂、晨昏護持
 存神守一、導引食気  食療薬療、益寿延年
 素食少食、三五調配  病従口入、病従口調
 生精含棗、食気補身  物来順応、事過身寧
 口勿妄言、意勿妄想  行坐住服、勿令過度
 悲哀喜楽、勿令過情  動止有常、言談有節
 呼吸精和、安神閨房  寒温適体、勿侈華艶
 身心静空、長寿不老

1.零飲倒走、陰陽交和
 (1) 零飲:起床後、水一杯を飲む。一口ずつ飲み込む。意念は丹田。
 (2) 倒走:起床後、広くて人の少ない場所で前を向いて後退(後ずさり)する。神経気血を調節する効果がある。
 (3) 陰陽交和:両手の指先を摩擦する。意念は皮膚。指を交差し、指の付け根を摩擦する。意念は内臓。陰陽気血を調節する。

2.四時順摂、晨昏護持
 四季養生の飲食法及び気功法の習練は、季節の変化に合わせる。飲食功法も四季に順応させることが重要である。朝晩続けて習練し、良い習慣を身につけることが養生となる。

3.存神守一、導引食気
 気功の動功、静功の習練である。

4.食療薬療、益寿延年
 飲食を重視する。養生薬物法と組み合わせ、益寿延年の効果をもたらす。

5.素食少食、三五調配
 (1) 精進料理(肉抜きの食事)を重視する。精進料理は気血臓腑を調節し、延年長寿の効果がある。
 (2) 食事の量を減らして内臓の負担を軽減する。自身の免疫力を増強する。
 (3) 三五調配:飲食は、自身の健康状態により一日三食又は一日五食に調節する。これで胃腸機能を調節できる。

6.病従口入、病従口調
 「病は口から」従って、疾病予防には口を第一関として重視する。飲食から調節し、疾病を治療する。

7.生精含棗、食気補身
 口の中に大棗或は梅を一個含む。生精補身の作用がある。

8.物来順応、事過身寧
 心理状態に対する要求方法である。何事にも正確に対処する。過去は忘れ、心を静に保ち、余計なことを考えない。善養生者は、心静・心明・心安を保ち、増寿延年できる。

9.口勿妄言、意勿妄想
 善養生者は、言い過ぎない、妄想をしない。

10.行坐住服、勿令過度
 善養生者は日常生活を重視し、自分の服装・座る姿・歩く姿に注意し、自然と順応する。

11.悲哀喜楽、勿令過情
 気功養生は素直な心を持つ事及び安定した情緒を維持する事に注意する。七情を調節し益寿する。七情の変化が甚だしいと気血失調及び臓腑失常になり、疾病に至る。善い養生者は七情を調和し、健身延年する。

12.動止有常、言談有節
 善養生者は、日常生活の中で言葉遣いや行動に気をつける。

13.呼吸精和、安神閨房
 (1) 呼吸法の鍛錬を重視する。肺機能と自身の免疫力を増強できる。その結果、強身健体、延年長寿できる。
 (2) 性生活の調節を重視する。年齢層により性生活を節制、調節する。この事で養精、健身の効果を求める。

14.寒温適体、勿侈華艶
 善い養生者は、気温の変化と服装の調節に特に注意する。服装の増減は自然と一致するよう注意し、延年長寿の目的を達成する。

15.身心静空、長寿不老
 養生の重要性は、養心を根本とする。“性命双修”“清静無為”を重視する。その心を清め、その神を静め、形体安静にすれば、自然に養精生気となる。即ち、心身合一が健康長寿に達する。これが最高レベルの養生長寿である。



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